高音質ハイレゾ名盤

2016年12月30日

人生を一気に振り返るかのような白鳥の歌

Theme Tag


Tchaikovsky

孤高のカリスマのタクトに従い、オケが全身全霊で挑むチャイコフスキー最後の交響曲
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団『チャイコフスキー:交響曲第6番“悲愴”』

コントラバスのごく弱い低音の刻みに乗って、おどろおどろしく何かが起こるかのようにファゴットが鳴り始める。そして本曲に一気にのめり込むこと約43分が経過した後、第4楽章の最終部にさしかかる。またコントラバスだけが、だんだんと弱く奏されていき、最後に静かに沈黙する。部屋のなかで音楽と対峙してきた自分に襲いかかる無の世界。この尋常ではない音楽こそ、チャイコフスキー(1840~1893年)の最後の交響曲となった第6番“悲愴”である。チャイコフスキーは、本曲初演の9日後、急死することになる。

演奏するのは、当時のソ連(現在のロシア)のエフゲニー・ムラヴィンスキー(1903~1988年)の指揮するレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団。ムラヴィンスキーにとって、2度目の西側演奏旅行となった1960年11月7~9日、“黄金のホール”として響きの良さで知られるオーストリア・ウィーンの楽友協会大ホールで録音された。

ムラヴィンスキーのライブに接したのは、後年1977年の同じチャイコフスキーの交響曲第5番の来日公演だった。華やかなエンディング、そして、熱烈な観衆の歓呼の拍手のなかで、ムラヴィンスキーはあくまでも孤高だった。にこりともせずに、ゆっくりと丸めがねをはずし、ポケットにしまい、次に総譜を閉じる。そして、オーケストラのメンバーをやっとみつめ直し、軽く会釈すると、それきり指揮台から降りて観客側の歓呼に応えるそぶりもほとんど見せず、舞台袖へと下がった。音楽だけにどこまでも奉仕する、カリスマ指揮者といった風情が満ちあふれていた。

そのムラヴィンスキーが指揮する本曲を聴くと、ライブで感じた鋭い眼光でオーケストラと対峙する厳格なまでの彼の姿が目に浮かぶ。大きな指揮をするわけでもなく、楽譜に書かれたチャイコフスキーが記した通りの要求を、メンバーにほんの少し合図を与えるだけなのである。しかし、当時のレニングラードフィルは、メンバー全員がムラヴィンスキーを尊敬しているのか、実に彼のタクト通りに、全身全霊をかけて曲に挑むのである。

それにしても凄い音である。低音群であるコントラバスは、もう音というよりも、ゴオッという雄叫びを上げるし、ビオラは濃厚で克明に迫ってくるし、チェロはくすんだ音でそれに続く。トランペットの音色は、もう輝きを通り越して胸に突き刺さるように痛い。これは単なる音楽というよりも一種の音楽のドラマを聴いているようである。

本曲は、第1楽章が始まると、どこまでも美しいメロディーがバイオリンによって奏され、一転して激しい起伏感があり、第2楽章は舞踏会の優雅なシーン、そして第3楽章は、軍隊の分列行進のような勇壮なシーン。そのどれもが、人生を思い起こし、華やかだった若い頃のこと、果敢に挑んだあの時、激しい恋、軍隊に出征した頃といった人生のなかでのメルクマールを表現しているように思えて仕方がない。第4楽章に入ると、一転して、もの悲しさのある人生の終末を思わせる世界が展開する。何度も昔のことを思い起こすうちに、静かに、自分というものを見つめ直し、エンディングへと向かう。

本曲にはもうひとつ、忘れられない経験がある。1989年、雑誌「サウンドレコパル」の巻頭特集で、アメリカ西海岸のスピーカー、JBLのプロジェクトK2という新進スピーカーをとことん鳴らすという企画を、2002年、故人となられたオーディオ・ライターの朝沼予史宏氏と行なったことがあった。そのCDソースとして、ムラヴィンスキーの『悲愴』を試聴した。第1楽章、序破急でいえば、“急”になるところ。それまで静かにバス・クラリネットが鳴るかと思うと、一閃、全楽器が“急”となり、走り出すというところがあった。朝沼さんは、試聴のときは音楽ソースに入っている音を少しでも聴き逃すまいと、アンプをフルパワーで鳴らし、新鋭JBLは水を得た魚のように鳴りだした。

その時である。本演奏でいえば、第1楽章トラック9の9:26で、“急”の一瞬前に、「ガサコソ」という音が聴こえた。それは、これからの“急”を演奏する為の、緊張の極に発せられた演奏メンバーの気合いのように聴こえ、とても驚いたものだ。1989年当時としては、最高級のスピーカーJBLのK2とパワフルなアンプとの組み合わせで、初めて引き出せた音だった。ハイレゾで久しぶりに本演奏を聴くと、この「ガサコソ」が難なく再生できたのに驚いた。もともとアナログテープに収録されていた音の全てが、2012年にベルリンのエミール・ベルリナー・スタジオで、見事にハイレゾ化されたのだった。

ハイレゾでの聴きどころは、第1楽章冒頭のほか、4:30から9:25と、13:30から16:30のバイオリン、続くクラリネットを始めとする木管楽器群の美しい旋律、第2楽章の優雅なワルツ、第3楽章のきらめくような金管楽器群、そして第4楽章のどこまでも続いていくコントラバスのエンディングと満載である。ハイレゾで聴くと透明感や迫力が増し、ステージが広い。人間でいることの究極のつらさ、寂寞としたなんともいえないむなしさが伝わってくるかのようだ。朝沼さんとの音の格闘を思い出しながら、ふと、朝沼さんが生きていらしたら、このハイレゾでの再生を喜んだに違いない。そう思った。

 

 

(文/野村和寿)

雑誌編集者を長くつとめ、現在は校閲者。1975年にカール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団日本公演のブラームス交響曲第1番の最終楽章で、鳥肌が立ち、帰り道をさまよった経験を持つ。爾来、クラシックを生涯の友として過ごしてきた。編集者時代、クラシック以外のロックやジャズといったジャンルのアーティストと交流を深めるうちに、クラシックと、楽しさにおいて何も変わらないことに確信を持つ。以来、ジャンルを取り払って、SP盤からハイレゾまで、未知なる音の発見の喜びを日々捜している。また無類の古いカメラ好きでもあり、特にドイツの光学製品に魅せられ、ライカとそのレンズの蒐集に執念を燃やしている。

 

e-onkyo_logo

のページへ

関連記事

UCCV1162_thmub

聴き始めてすぐに鳥肌が立つほどの良音!

2017年5月24日

uml00028948271467_thmub

『四季』を世に広めた大ロングセラーの名演

2017年5月19日

UCCQ2002_thmub

ブルーグラス界の女王18年ぶりのソロ作

2017年5月17日

5022_STICKYFINGERS_BOOKLET_P2

自ら設立したレーベルからの第1弾アルバム

2017年5月10日

Book

第28巻好評発売中!

隔週刊CDつきマガジン

JAZZ VOCAL COLLECTION

BUY

牧野良幸のハイレゾのすゝめ